マンハッタンのとある一室。そこは古いホテルだった。
ニューヨークでホテル住まい。
これだけ聞くと、どれだけ豪華な暮らしなの?と想像してしまうかもしれない。
しかし断言する。
自分の中でこれ以下の暮らしは後にも先にもなかった。
1929年ごろに建てられたアール・デコ調の高層ホテル、当時は2500室ほどの客室があったらしい。
あのニコラ・テスラのサインも飾ってあったりして、古い歴史があり味がある。
私が行った頃は老朽化によりリフォームを繰り返し、色々なフロアが工事中で
客室として使っていない部屋もかなりあった。
いくつかの会社の事務所にもなっており、一部がホテル関係者などの住居にもなっていた。
夫は一時期このホテルの改修を手伝っていたことがあり、当時のルームメイトとも長い付き合いだ。
大工仕事をする予定はもうないが、当時のコネを使い、あくまでとりあえず、ここのどこか一室を借りる。
マンハッタンの家賃は東京以上だということを考えると他に選択の余地はなかった。
海外移住ということもあり必要最低限の荷物しか持ってこれず私はトランク一つで
再びアメリカ、ニューヨークの地に足をつけた。
夫はまだルームシェアをしており、ひとまずそちらに。私は部屋の用意をしてくれた人から
鍵を預かり別の部屋にということになった。
客室でないフロアのエレベーターを降りると左と右に通路が分かれる。
右のエリアはある程度、事務所や住居で人の気配がある。左側は、、、
ジーーージジジジ、、、ジーーー、、と音を立て
天井の電気がついたり消えたり。リフォームに入る為、完全なる廃墟のエリアだった。
多少敏感な私は、背筋がすぅーーっと寒くなるのを覚えた。足がすくむほどの薄気味悪さ。
後で聞いた話ではここは霊感のある人は必ず何やら見えるエリアらしい。 やっぱりね。
新婚旅行にでも来たかのような浮いた気分はこの時スッと消えた。
嫌な予感しかない。でもとにかく今は何も考えてはいけない。夫とその部屋に入った。
電気をつけても薄暗く、だだっ広い。二十畳くらいあるのでは。
客室用の壊れた机と小さなチェスト、マットレスだけの簡素なベッド、小さなスタンドランプ。
窓の外の景色はホテルの壁。マンハッタン特有のクラクション、パトカーや消防車のけたたましい音。
一番驚いたのは、ユニットバスのドアがないこと。壊れてしまって外されたのだろう。
したがってトイレをするときも完全オープン状態。
極め付けが部屋の真ん中を、のそのそ横切る茶黒のあれ。 あれはもしや、、、
ああ、ゴッキーさま、、、、
アメリカ育ちのあなたってば、ここに住む人と同じくビッグサイズなのね。
私はここに住めるのだろうか。 いや住む場所はもうここしかない。
- 2019/04/26(金) 21:55:42|
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渡米するにあたっては、1日も早くビザ取得の準備を進めなければならなかった。
その為、夫婦になっておかなければ何も進めることができない。
彼が実家の母に電話して、役場から用紙をもらい、必要事項を書き込んで、
急いで婚姻届を出すようにと、既に頼んでいたようだ。
婚姻届とは、、
二人で良き日を決め、手をつないだりして役所に提出、、なんて光景を想像していたが
現実はそうはいかないものだ。
義母は言われるがままに記入し提出してくれた。が、この作業を自分たちでやらなかった為に、
その日がいつなのか、私たちはその後、何年も覚えられないままとなってしまった。
最近覚えられるきっかけになったのは実は息子の誕生日と同じだったことが判明してからだ。
それでも長年スルーしていた為に誕生日会はするけど結婚記念日はやっぱり忘れてしまう。
渡米後のことはあまり考えてなかった。行ってみなければ何もわからない。
短期留学時代の英語なんてほぼ役に立たないと想像できたが、特に準備もしなかった。
新しい環境には興味があるほうなので、不安よりも希望の方が大きかった。
これから生活する場所は当面、彼が以前住んでいたマンハッタンのとある一室で
私は留学中にそこを何度か訪れていたから大体の雰囲気はわかっていた。
場所がわかっているだけに、なんとなく安心感があったのだ。
この先、留学と生活するのとではまったく次元が違うというのも知らないで。
- 2019/04/19(金) 08:51:42|
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ご存知の方も多いが、新婚スタートはアメリカだった。
アメリカには縁がある。
20代前半に気まぐれに半年間留学した時、今の夫に出会った。
スピード婚約したものの、生活のスタートはまだ先。
彼はアメリカでの仕事が残っていたが、近い将来帰国予定。
私もまだ若かったから、もう少し何かしたい。
ビザの関係や留学費用も底をつきそうというのもあり、
じゃあ、お先に〜日本で待ってるよ〜と軽い感じで私だけ帰国した。
それから数年、私は日本で友人とお店を経営してみたり、
彼も思ったより早くアメリカでの仕事を切り上げられて帰国していた。
それでも東京と関西で離れ離れ。行ったり来たりはするけれど、
不経済だし、何より寂しくなってきて、じゃあそろそろ籍もちゃんと入れて
新生活をスタートさせましょう、ということになった。
夫の仕事の関係上やはり新生活の場は関東なのだろうな、不慣れな場所だけど
まあ、なんとかなるか、物件なども探し始めないと、、、
そんなことを思い始めていたある日、彼から連絡が入る。
「アメリカで一ヶ月だけ音楽制作の手伝いをすることになった。すぐに出発なんだ。
色々考えるの、帰ってきてからでいい?」
一ヶ月なんてたいした期間ではない。久しぶりに大好きなアメリカで羽を伸ばしたらいい。
何年もアメリカにいたので言葉の不自由もなく東京よりずっと性に合ってるのはわかっていた。
ところが一ヶ月過ぎても帰ってこなかった。
「ちょっと延びそう」 が2回くらいあった後、、、
「ずっと居ることになっちゃった〜〜笑笑 こっち来てもらってもいい?」
(笑い事か?)
そうやって、ある日突然、数年前にグッバイしたアメリカに、
夫婦揃ってまた戻ることになった。
- 2019/04/12(金) 08:38:41|
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一週間、関西に帰省していた。
友達の全面的な協力により実現した移動ショップ。
初めてお買い上げくださった方も多く、ありがたかった。
友達は自分の得など一つもないのに、宣伝と人集めに翻弄してくれた。
小学校時代の幼馴染とそのママも来てくれて、感謝の日々。
関東にも親切な人はいっぱいいるけど、
人との距離感と協力度合いは比較にならない。
関西を離れているからこそ、より強く感じる。
海外で暮らすと日本の良さがすごく良くわかるのと同じだ。
実際、西と東の文化は外国くらい違いがあると私は思う。
エレベーターで一緒になった他人同士が、
降りるまでの数秒の間で、会話に花が咲いたり、
買い物以外のちょっとした店員とのやりとりも本当にテンポがよく、
地元の友人とは、長い間会っていないにも関わらず、
みんなあからさまに隠すことなく今の現状を暴露しあえる。
どの場面でも、誰もが常に本音。壁がない。
最後に高校時代の友人とランチした時、
「販売会? 知らんかった〜行きたかったけど。
じゃあさ、これで、、おまかせでネックレス作ってくれへん?」
と即座に財布からお札を手渡された時、
あ、やっぱここは関西やな、、と思った瞬間。 笑
I LOVE KANSAI
- 2019/04/05(金) 20:21:50|
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