小さい子供に、お母さんのお腹の中に来る前はどこにいたの〜?
なんて聞くと話し出す子も結構いるようだ。
うちも今まで何度となく聞いてみたりしていたが、
雲のうえから見てたよ、みたいな定番的な話や、
お母さんをコンピューターで選べるようになってる、だのその時々で違う事もあり、
本当かウソかよくわからなくても、話しとしておもしろく聞いている。
先日また聞いてみたら、
卵のカラのようなところにいてて、少し割って外を見て、
どの母にするか選んでいた、と。
「お母さんは何してた?」と聞くと。
「寝てた」
確かにいつも昼寝ばかりしていたような気もする。
「他のお母さんは何してたの?」と聞くと、
「育児とかしてたよ」
ふむふむ、そういうところに行ったら兄や姉がいてたかもね。
「なんで寝ている母さんのところに来たの?」と聞いたら
「熟成してるかなと思って」
「………?」
寝かせて旨くなる、熟成肉のようだな。
どういう判断基準ですか???
- 2018/06/29(金) 13:53:15|
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ネットショッピングのおかげで、本当に買い物が楽になった。
店舗より安く手に入る事も多くなったが、実物が見られないということで
一か八かの賭けをしょっちゅうしている状況にはなっている。
それで、思ってたのと違い返品しようと思ったら、結構な額の返送料を払うことになるし、
セール品や手作り品、中古品など、返品できない品も多々あって、
安くは買えていても、トータルで得しているかといえば、そうでもないような気もする。
最近よく使うアパレル関係のサイトでは、在庫表示がされるが
欲しいアイテムが「残り一点」となって、慌ててカートに入れて、
自分が購入した時点で「在庫なし」の表示が出る。
ああ、間に合った。本当によかった。。。と思ったら大間違い。
1分後くらいにまた、なくなったはずの在庫に「残り一点」の表示がでる。
その10分後には在庫3となっていたり。
そうやって焦らせて買わせている仕組みがあるのか、
大量に売るので在庫管理が難しいのかは定かではない。
結局まだ在庫に余裕があるのならばと、ひとまずキャンセルを試みるも、
瞬間で発送準備中になりキャンセルができない状態になってしまう。
店側の事情は知り得ないが、なにか釈然としない気分が残りながらも
ネットだし、こんなものかと、あまり感情を入れずに買い物している。
ファッション関係の支出優先順位が低くなっているこの時代、売っていくことは大変だ。
なので大手であろうと、個人であろうと、色々な手を使って仕掛けることは必要かもしれない。
けれどこれからは、どれだけ売れたかというよりも、実物が見られない分失敗は仕方ないとして
気持ちよく取引できたかどうかは、かなり大きなポイントになってくるんだろうな。
Ayu’sは、試着もできない、返品もご遠慮いただいてる、決して条件のいいお店でないのだから、
せめて、機械相手にお買い物している気分にならないように、個人店の味を出していけたらと思う。
- 2018/06/22(金) 21:05:24|
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予想外にも月光仮面の記事が印象深いという人が結構いるみたい。
望んでいるわけではないが昔から不思議な体験が多い方かもしれない。
特に子供の頃はどうも異界とのチャンネルが合いやすかったように思う。
こんなこともあった。やっぱりあれは小学生の頃、、、、
子供の頃住んでいたマンションの自転車置き場のフェンス裏に、ある家が隣接していた。
そこはやや大きめの木造一軒家で、いつ崩れてもおかしくないほど相当古く、廃墟だった。
やがて家を取り囲むように開発が進み、マンションや三階建てくらいのビルなども建ち並び、
その谷間に、この家だけがいつまでも撤去されず取り残されていて、おかしな雰囲気だった。
青空のある夏の日、出かけるため自転車置き場に行った。
何かを落として、かがんで立ち上がった瞬間、フェンス越しの目の前の光景に目を疑った。
廃墟だったはずのあの家の戸がすべて開いているのだ。
縁側があり、居間があり、そしてそこの家族団欒が丸見えになっていた。
ここって、人が住んでいたの!!!?????
おじいちゃん、お父さん、お母さん、男の子。風鈴の音がしている。
お母さんがお勝手と居間を行ったり来たり。
丸いちゃぶ台を囲み、白いタンクトップ姿でごろ寝姿のお父さんとおじいちゃんが
うちわをあおぎながら声をあげ、白熱しながら高校野球を見ている。
でも、、1970年代というのにテレビ映像はやたら画像の悪い白黒だ。
アンテナ付きの脚のついた旧式のテレビ、アンティークショップに売っていそうな昔の扇風機。
壁にかかるカレンダーの写真の若い女優は今のファッションとまるで違う。
何かがおかしい。
すると男の子がこちらに向かって走ってきた。
マズイ。。家を覗いているのがバレたのかもしれない。どうやって言い訳しよう。
少年は自分の目の前まで来たが、まったく目が合わない。どうやら虫捕りをしているようだ。
いくらフェンス越しでも普通こんなに目の前に人がいたら、、、、、
向こうからはこちらが見えていないと気がつくのに、少し時間がかかった。
それでも目の前の光景は幻とは思えない。全てが昔という以外は普通に時が流れていた。
ただ何か関わってはいけないような、というよりなんだか邪魔をしたくなくて、私はその場を去った。
次の日
自転車置き場裏のフェンス越しに立ち、あの家を見た。
やはり人など住める状態ではなく、いつもの廃墟だった。
でもなぜか、恐ろしさは感じなかった。
あの平凡で穏やかな日常が、
あそこに住んでいた家族の、一番良い思い出のような気がしたから。
- 2018/06/15(金) 10:42:37|
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先日亡くなられた絵本作家の かこさとし さん。
ずっと現役でいらっしゃた事をNHKの番組で知る。
本物だけが世代も時代も超えられる、それを証明した作家さん。
子供の頃「だるまちゃんとてんぐちゃん」が大大大好きだった。
友人の息子の誕生日プレゼントを探していて
アメリカの書店で英語に翻訳された「だるまちゃんとてんぐちゃん」を見つけ、
日本人でなくても、この絵本の楽しさわかる? とか考える間も無く、嬉しくて即決。
この絵本は、だるまちゃんとてんぐちゃんの友情を描いたものかもしれない。
だるまちゃんは物欲を満たすことだけでは喜びに繋がらないと教えてるのかもしれない。
それぞれの一番の感じる所が「ここ」、と定まっていないところがすごいと思う。
そして、私は物を選ぶ力をこの本から得た。
だるまちゃんが欲しがるものをお父さんが座敷にわ〜っと広げ、好きなものを選ばせる
という下りが何箇所か。何十種類の靴だったり、帽子だったり、うちわだったり。
この場面で自分がどれを選ぶのか、友達や母は何を選ぶのか、選んだり選んでもらったりが最高に楽しかった。
どうしてこれが好きか、どうしてこれが必要か、
たくさんの中から自分に最適なものを選びきるというというのは、実は結構、深く自問自答が必要だ。
そのおかげか、自分で言うのもなんだけど、私は買い物が上手いと思う。
どんなにしょぼい品揃えの中でも自分らしい必要なものを探せるし、
逆にどんなに素敵な店構えで良品ばかりが置かれていても、何かピンとこなければ選ばない。
かといって、ガチガチにこだわりがあるわけでもなく、完璧さより自分っぽい部分が少し入れば満足。
それでも、既存のもので気に入るものがなかったら、
最終的には作るという手段があるということも、この本からの大切なメッセージとして心に刻んでいる。
かこ先生、私は、
絵本の中で選んで遊んだあの楽しさを忘れずに、
星の数ほどある材料やビーズの中から選んで組み合わせ、出来上がったものをまた別の人に選んでもらう、
だるまちゃんのお父さんのごとく、わ〜っと商品を広げる人になりました。
- 2018/06/08(金) 12:17:51|
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先日夫がNY出張から帰ってきた。
「あ〜リフレッシュできた ♪」 と
疲れ以上に生き生きしているようだった。
やっぱり好きなんだな。
十代後半から二十代前半、異国で過ごすことの
影響力の大きいこと。
彼の中に異文化がなんの違和感もなく刷り込まれている。
私はというと、そんな風にはならなかった。
24歳で半年間だけ留学した時は毎日が刺激だらけで
なんとなくの雰囲気をつかんだだけ。
二十代後半に夫の仕事の関係で暮らすことになった時はもう、
吸収力も好奇心もにぶり、ただ生活していくので精一杯。
もしかしたら、もったいないことだったのかもしれないが、
あの時はそういう風にしかできなかった。
長く居たから、帰国後はちょっと懐かしくなって
NYには二年に一回ペースで旅行で行ったりしていたけど、
とうとう懐かしむ気持ちも薄れてきて、
どっぷり日本の生活に浸かりきっているものだから、
アメリカでの生活は夢だったのでは?と思ってしまうほど。
けれどあのマンハッタンの車のクラクション、サイレン、
人の叫び声、ストリートパフォーマーの音、街の匂い、
ビルの影、ありとあらゆる人種、そんな中に放り込まれた途端、
あの時とにかく一生懸命だった一つ一つをすぐに思い出すだろう。
異文化は取り込めなかったけど、
必死のパッチ感だけ脳に刷り込まれているものでね。
- 2018/06/01(金) 07:21:11|
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