手を出してくる子供はどこにでもいる。
息子が利用している放課後デイサービス二箇所、学校にも
それぞれにいる。
しかしながらデイサービスの方は障害により言葉が発せず
その自己表現として手が出てしまうパターンもあり、理解ができる。
実際、好意をもってのことだったりもするが、子供にはなかなか理解が難しい。
息子はよく、たたかれたり、蹴られたり、そして泣くというパターンが多い。
そこでスタッフが
「やられたらやり返してもいいんだよ!やっちゃえ!」
とふっかけるが、一切応じないらしい。
仕返しが良い悪いは別として、男の子なんだからそうやって成長していくもの
という考え方が思ったよりも世の中に支持されていることを感じる。
寝る前に、息子に「どうしていつも、やり返さないの?」
と聞いたら、
「自分の心が悲しくなるから、やりたくないんです」と。
大人がやってもいいと言ったら、そうか、とやる子供は多いと思う。
男の子なら特に弱虫と思われたくない、と思うのが普通かもしれない。
けれども、、、どんな環境で誰が何を言ったとしても、
自分の本心に従える息子を、私は弱虫だとは思わない。
- 2018/05/25(金) 09:00:00|
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東京なんて田舎もんの集まり、、なんて歌詞があったような?
たしかに、電車に乗っていても都心にいても、残念ながら
ハイセンスな人ばかりが集まっているわけではないと感じる。
正直、地元の関西の方が、オッ?!と振り向くくらいのセンスの良い人に
出会う確率が高かったように思うし、
あるエリアの一般の方のレベルは東京より都会的センスなのかも。
けれど、
あ、芸能事務所に所属しているんだろうな、、、モデルとか女優の卵かも、
と感じるような子を見かけるのは圧倒的に東京の方が多い。
先日電車で見かけた子もそう。
細ーくて、びっくりするほど顔が小さく、鼻筋がスッとしていて高く、
まつ毛がうんと長くて目もぱっちりしている。
ファッションは、、
ワンシーズン前の流行を寄せ集めたような、よくある感じで
個性も主張もなく、季節感もちぐはぐで決してセンスが良いわけではない。
が思うに、このくらいのちょいダサめが一番一般受けがいいのかもしれない。
何より顔立ちの綺麗さに目がいって、服装なんてどうでもよいほど。
自分がもう少し若ければ、ああ、いいな〜こんな顔に生まれて。羨ましい、、、
人生が全然違っていただろうな〜〜〜なんて思っただろう。
でも今、この美少女を見て思うこととは、
今までどれだけの悪い虫が群がっただろう、、、
不必要な念を送られ、嫉妬心を買い、嫌な思いが多かっただろうに。
そして今後数年の間もさらに、悪い大人から身を守り、男関係の苦労が続くのだろうなぁ。
大変だなぁ。親も心配だろうなぁ。
と、余計なお節介ばかりが頭に浮かぶ。
私も歳を重ね、美人の方が幸が薄い事例もたくさん見てきて、
おばちゃんどころか、すっかりおばあちゃん目線。
- 2018/05/18(金) 08:27:14|
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小学校の行事に田植えがある。
保護者も協力して、田植え、稲刈り、収穫祭の餅作りの
どれかを選ばなくてはならない。
私は昨年に続き田植えを選んだ。
田植え専用の長靴を夫の実家の田舎で調達することができたからだ。
そして、せっかくだから毎年使いたいと思っている。(この日しか使わないから)
本日は五月にしては記録的な寒さで、子供も保護者も震えながらの作業となった。
一年生は見学のみなので、実際に田んぼに入るのは二年生から。
というわけで息子も今回が初めての田植え体験で、そばで見守りたいというのもあった。
案の定、ハイテンションで実際泥の中に入ると初めての感触にかなりパニック。
初めての事をやるときはとにかく興奮度が高く、いつものことだ。
事情がわかっている心優しい校長先生が、つきっきりで息子に手ほどきしてくれた。
すかさず毎年取材に来るローカルテレビのテレビカメラが
我が子の手元や顔のアップらしきものを撮り始めた。
それなのにいきなり叫ぶように
「うわ〜〜〜〜きもちわり〜〜〜〜」(感触に過敏な為と思われる)
「全部うんこだ〜〜〜〜〜」 (いつもの失言)
校長先生とカメラマンの顔がこわばる。
私は協力してくれている農家さんに聞こえなかったか見回す。
はいボツね。すみません。
- 2018/05/11(金) 07:10:48|
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先日、材料などを求めてホビーショーへ出向いた。作家さんの作品販売やクッキングショーなども開催されているので試食なども存分にできて、
おばさん、、、いえ中高年の女性には夢のようなイベントなのだ。
たくさんのブースでワークショップが開かれており、その中でも今年は「ハーバリウム」が大人気。
正直個人的にはさほど興味がないが材料などを手に取り、ふ~ん、こういうものを瓶に詰めるんだ、
オイルはこういうのね~と見ていたら、「体験されますか?」と声をかけられる。
なんでもやってみたい性格。リーズナブルさも背中を押して、やってみることに。
瓶に詰めるドライフラワーやドライフルーツ、実は色も種類も無限だ。
今回は三種類に決められており、これが迷う。迷わない性格だったはずなのに迷う。
配色などは慣れてるはず、と自分に言い聞かせ、ブルーのメインの花と赤い実、細長い葉を選ぶ。
組み合わせ的には悪くないはず。そしてそれを上手く配置してオイルをいれるだけでしょ? 楽勝ね。
ところがどっこい。
「浮いてくる素材があるので、それを何か別の素材で浮かないようにおさえることを考えてくださいね」
と言われ、やや不安。 実際やってみると、
結果、全部浮く。持ってる素材では抑えがきかない。
それに全部直線的で縦長の素材を選んでしまったので、空間が埋まらない。なんともアンバランス。
結局どうやっても上手くできず、惨敗。
なんとも残念な、素人丸出し作品の出来上がり。
上手くいけば、母の日のプレゼントに、、、なんて考えていたが、自分の家に飾ることさえはばかられる。
技術はさほど必要ないかもしれない。でも作品として完成させるためには知識とコツが絶対に必要で
簡単そうに見えたが、いきなり1回目では上手くいかないことを痛感。当たり前のことなのに。
周りを見回しても、自分で作ったという満足度は高いようだが、売り物のようにバランスがとれているものは
誰一人作れていなかったように思う。
もう一回一からやり直したいところだったか、時間も気力もなかった。
色々勉強になった。そしてはっきりわかったことがある。
見本を見ながら何かをバランスよく綺麗に仕上げたとして、多分その時だけはちょっとだけ嬉しい。
けれど既存の技法を使いながらも、これは自分の中からでてきた、自分しか作れないものだぞ、
と感じながらの物作りでないときっと自分は満足できない。
- 2018/05/04(金) 09:00:00|
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